カンヌ取材者が選ぶ!世界が注目した「人生の物語」映画

夜の帳が下りたフレンチ・リビエラ。
まばゆいスポットライトを浴びて、一人の監督がレッドカーペットを歩き、カメラのフラッシュが弾ける。

その華やかな光景の裏側で、私はいつも、一本の映画が持つ「静かな力」について考えています。

映画祭は、単なるお祭りではありません。
それは、世界中の作り手が、誰にも語れなかった「人生の物語」を持ち寄り、私たち観客に「あなたならこの物語をどう見る?」と問いかける、真剣な対話の場なのです。

この記事では、2023年のカンヌ国際映画祭で現地取材を担当した私、宮下遥が、世界が注目し、私たちの人生観を揺さぶった3本の「物語」を、独自の視点と共にご紹介します。

映画評論集『スクリーンの中の孤独たち』でシネマエッセイ大賞を受賞し、長年“人の物語”を追い続けてきた私だからこそ語れる、作品の核心と、それがあなたの心にどう響くのか。

この記事を読み終えたとき、あなたはきっと、スクリーンの中の誰かと、そしてあなた自身の人生と、深く対話しているはずです。

なぜカンヌは「人生の物語」の震源地なのか

カンヌ国際映画祭は、世界三大映画祭の中でも特に「作家性」と「社会性」を重視する傾向があります。
華やかなスターの存在以上に、審査員たちが目を凝らすのは、その作品がどれだけ人間の根源的な問いに迫っているか、という点です。

カンヌが選ぶ普遍性:レッドカーペットの裏にある「沈黙の部分」

カンヌで最高賞であるパルム・ドールやグランプリを獲得する作品は、しばしば観客に「不快な真実」や「解決のない問い」を突きつけます。

それは、まるで人生の「長回し」を見せられているかのようです。
人生で誰にも邪魔されずに思い出を見つめる時間のように、カメラはただ淡々と、登場人物たちの葛藤や、社会の矛盾を映し出します。

私が特に注目するのは、登場人物の「沈黙の部分」です。
彼らが言葉にできない、心の奥底にある孤独や、社会に馴染みたい欲求、そして誰にも理解されない感情。
カンヌは、そうした“語られなかった言葉”を代弁する作品に、惜しみない光を当てるのです。

映画は批評されるためでなく、「語られる」ためにある

新人時代、私は話題作を酷評して炎上した苦い経験があります。
その失敗から学んだのは、「映画は批評されるためにあるのではなく、語られるためにある」という信念です。

映画祭の会場で、世界中のジャーナリストや観客が熱く語り合う姿を見るたびに、この信念は強くなります。
一本の映画を観ることは、「同じ映画を違う角度から観る仲間」と、人生について語り合うための、最高のきっかけなのです。

さあ、私が現地で肌で感じた、世界が注目した「人生の物語」を、一緒にひも解いていきましょう。

【宮下遥が選ぶ】世界を揺さぶった「人生の物語」映画 3選

2023年のカンヌ国際映画祭で、特に「人の物語」を深く掘り下げ、私の心に深く残った3作品をご紹介します。

なお、カンヌ作品のような非日常感や意表を突くような刺激的な新感覚な映画作品に興味がある方は、私と同じ30代後半で映画好きの後藤悟志さんのレビューも、新たな視点を与えてくれるかもしれません。

作品名監督カンヌでの受賞テーマの核心
『落下の解剖学』ジュスティーヌ・トリエパルム・ドール夫婦関係における真実の曖昧さ
『関心領域』ジョナサン・グレイザーグランプリ悲劇に対する人間の「無関心」
『怪物』是枝裕和脚本賞、クィア・パルム賞多角的な視点から見る「孤独と居場所」

作品1:『落下の解剖学』(2023年・パルム・ドール)

ストーリーの核:夫婦の真実を「解剖」する、人生の法廷劇

最高賞であるパルム・ドールに輝いた本作は、夫の不審な転落死を巡り、妻が殺人の容疑で法廷に立たされる裁判劇です。

物語の舞台は法廷ですが、そこで解剖されるのは事件の真相だけではありません。
検察側と弁護側の尋問によって、夫婦間の秘密、過去の口論、そして二人の関係性の「真実」が、赤裸々に暴かれていきます。

人生における真実とは、どこまでが真実で、どこからが解釈なのでしょうか。
この映画は、観客を陪審員席に座らせ、「あなたは、この夫婦の人生の物語をどう判断しますか?」と、重い問いを投げかけます。

カンヌ取材ノートから:真実の曖昧さが残した余韻

試写後、会場全体が静寂に包まれたのを覚えています。
それは、事件の真相が曖昧なまま終わることに、観客が戸惑い、そして深く考えさせられている証拠でした。

主演のザンドラ・ヒュラーの演技は圧巻です。
彼女が演じる妻は、時に冷徹で、時に感情的。
私たちは、彼女の行動や言葉の一つひとつを疑い、そして自分の人生におけるパートナーとの関係に、無意識のうちに重ねてしまうのです。

映画は、真実を提示しません。
ただ、私たちが人生で経験する「誰にも理解されない孤独」や「夫婦間での言葉のすれ違い」を、丁寧に映し出しているだけなのです。

作品2:『関心領域』(2023年・グランプリ)

ストーリーの核:壁一枚隔てた「無関心」という名の怪物

本作は、アウシュヴィッツ強制収容所の所長一家が、その壁一枚隔てた隣で、美しい庭と穏やかな日常を送る姿を描いています。

彼らの暮らしは、プールで遊び、庭でパーティーを開き、まるで平和な郊外の家族のようです。
しかし、そのすぐ隣では、人類史上最悪の悲劇が進行しています。

映画は、その悲劇を直接的に見せません。
代わりに、壁の向こう側から常に聞こえてくる「音」が、すべてを語ります。
叫び声、銃声、汽車の音、そして煙突から立ち上る煙。

この作品が描くのは、悪意ある怪物ではありません。
最も恐ろしいのは、「悲劇に対する人間の無関心」という名の怪物なのです。

カンヌ取材ノートから:音響が語る、見えない悲劇

カンヌでの上映時、私はその音響設計に鳥肌が立ちました。
映像は美しく、家族の日常が淡々と流れるのに、音だけが絶えず「地獄」を伝えてくるのです。

これは、現代を生きる私たちへの強烈なメッセージだと感じました。
私たちは、スマートフォンやSNSを通して、世界の悲劇や他者の苦しみを「壁一枚隔てた隣の出来事」として処理していないでしょうか。

この映画は、私たち自身の「関心領域」を問い直し、目を背けている「沈黙の部分」に気づかせてくれます。
映画は、誰かの“今”を映している。
それは、この作品が描く「無関心」という名の“今”かもしれません。

作品3:『怪物』(2023年・脚本賞/クィア・パルム賞)

ストーリーの核:「たった1人の孤独な人」のために書かれた真実

日本映画として大きな注目を集めた是枝裕和監督の『怪物』は、ある少年たちの奇妙な行動を巡り、母、担任教師、同級生という3つの視点から物語が展開します。

それぞれの視点から語られる「真実」は食い違い、観客は「一体、誰が怪物なのか?」と翻弄されます。
物語が進むにつれて明らかになるのは、いじめ、欺瞞、そして社会に馴染みたいと願う少年たちの、純粋で切実な孤独です。

脚本を担当した坂元裕二さんは、「たった1人の孤独な人のために書いた」とコメントされています。
この作品は、社会の枠組みの中で「異物」と見なされがちな人々の、心の奥底にある叫びを代弁しています。

カンヌ取材ノートから:多角的な視点が示す「居場所」の探求

カンヌの会場で、この多角的な構成が、観客に深い共感を呼んでいるのを感じました。
私たちは、自分の視点だけが「真実」だと思い込みがちです。
しかし、この映画は、視点を変えるだけで、世界が全く違って見えることを教えてくれます。

私自身の原体験と重なる部分があります。
高校時代、いじめにあって心を閉ざしていた私にとって、映画は“逃げ場”ではなく“居場所”でした。
『怪物』の少年たちが探していたのも、社会という大きな枠の中での「居場所」だったのではないでしょうか。

この作品は、私たちが誰かを「怪物」と断じる前に、立ち止まってその人の物語を、異なる角度から見てみる勇気を与えてくれます。

映画は、誰かの“今”を映している。

私の原体験:映画が「逃げ場」から「居場所」になった瞬間

私が映画を語り続ける動機は、高校時代にあります。
いじめにあって、世界から切り離されたように感じていたとき、偶然観た映画『スタンド・バイ・ミー』が、私の人生を変えました。

スクリーンの中の少年たちが、私と同じように悩み、笑い、そして旅をする姿を見て、「映画の中の誰かが、自分を理解してくれる」と心から感じたのです。

その瞬間、映画は私にとって、現実の苦しみから逃れるための“逃げ場”ではなく、「私はここにいていいんだ」と感じられる“居場所”になりました。

映画は、心の奥で誰かが語れなかった言葉を代弁してくれる。
この信念が、私の執筆活動の核となっています。

読者へのメッセージ:スクリーンを通して自分自身を見つめ直す

今回ご紹介した3作品は、いずれも人間の内面、社会との関わり、そして「真実とは何か」という普遍的な問いを投げかけています。

  • 『落下の解剖学』は、あなたのパートナーとの関係を。
  • 『関心領域』は、あなたの社会に対する無関心を。
  • 『怪物』は、あなたの孤独と、誰かの居場所を。

それぞれが、あなたの人生のどこかに触れるはずです。
映画を「観る」体験は、突き詰めれば「生きる」体験へと変わります。
ぜひ、これらの作品を通して、あなた自身の“今”を見つめ直してみてください。

結論:あなたの心に触れた「物語」はどれですか?

カンヌ国際映画祭で世界が注目した「人生の物語」映画3選を振り返ります。

  1. 『落下の解剖学』:真実が曖昧な夫婦の法廷劇。
  2. 『関心領域』:無関心という名の怪物を描いた音響サスペンス。
  3. 『怪物』:多角的な視点から孤独と居場所を探求する物語。

映画は、私たちに答えを与えるのではなく、問いかけます。
そして、その問いにどう向き合うかこそが、私たちが生きる「物語」を形作っていくのです。

あなたがこの記事を読んで、最も心が動かされたのは、どの作品のどのテーマでしたか?

もしよろしければ、あなたの心に触れた「物語」について、ぜひコメント欄で教えてください。
あなたの感想は、私にとって、そして他の読者にとって、同じ映画を違う角度から観る仲間として、最高の対話のきっかけになります。

次は、あなたの「物語」を語る番です。
また次の記事で、映画を通して人生を語り合いましょう。